大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1117号 判決

控訴人 清水八重治

被控訴人 服部正巳

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金七四万二五〇〇円および内金六一万二五〇〇円に対する昭和三二年五月一九日以降、残金一三万円に対する昭和三八年三月一八日以降各支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。」との判決と仮執行の宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の事実上および法律上の主張、証拠関係は、左に付加する外は原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し、原判決二枚目表四行目から五行目にかけて、「被告ももとより山邑酒造から右賃借地の譲渡を受けうるとの前提のもとに、」とあるのを、「被告も必ず山邑酒造(山邑酒造株式会社)から右賃借地の譲渡を受けうるということで、」と訂正する)。

なお控訴人は、被控訴人が民法第五六二条第二項に基き損害賠償義務を負わないとの主張に対し、次のとおり述べた。すなわち、控訴人が被控訴人との間で本件土地(東京都新宿区四谷四丁目二一番の三四、宅地九五坪三合七勺)の売買契約を締結するにあたつては、当時土地所有者である山邑酒造が本件土地周辺の分譲を始めており、本件土地の賃借人である被控訴人がこれを買受けるのはを買受けるのは極めて容易であつたし、又当時控訴人自身も山邑酒造から他の土地買受の契約を締結し、後日所有権移転登記をうけており、一方被控訴人が前記売買契約締結後である昭和二六年四月一八日山邑酒造の代理人新郊土地(新郊土地建物株式会社)から本件土地を含む一七一坪二合二勺を買受ける旨の契約を締結したことも聞いていたので、控訴人としては被控訴人をその土地所有者であると信じ、本件土地の引渡をうけて建物を建築したのであつて、かように時間的に直近した間に他人から権利取得がなされた場合には、買主は民法第五六二条第二項にいう「買主カ契約ノ当時其買受ケタル権利ノ売主ニ属セサルコトヲ知リタルトキ」に該当せず、同条第一項の買主善意の場合にあたる。従つて、被控訴人は同項にしたがつて控訴人に対し本件土地の所有権を移転できないことによる損害を賠償しなければ売買契約を解除できない、というべきである。

〈証拠省略〉

理由

一、昭和二六年四月一五日頃控訴人と被控訴人との間で、当時山邑酒造の所有であつた本件土地につき、控訴人が被控訴人から代金一三万円で買受ける旨の契約が締結され、即日控訴人は被控訴人に対して金一三万円を支払つたこと、右売買の経緯として、当時被控訴人は山邑酒造から本件土地を含む同所一七一坪二合二勺の土地を賃借中であつたが、その頃山邑酒造が財産税納付の関係から、右土地を含む周辺一帯の所有地を当時の賃借人らに分割譲渡をはじめたので、被控訴人も賃借人として当然右賃借地の譲渡を受けうるとの前提のもとに、右売買契約が締結されるに至つたものであること、はいずれも当事者間に争がない。

二、ところで成立に争のない甲第二号証、同第四号証、乙第二号証(甲第三号証も同一)、原審における被控訴人本人尋問の結果とこれによつて真正に成立したものと認められる乙第一号証と乙第四号証、原審および当審における控訴人本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨を併せ考えると、(1) 被控訴人は、控訴人と本件土地の売買契約を締結した二、三日後である昭和二六年四月一八日山邑酒造の代理人と称する新郊土地との間で、山邑酒造から本件土地を含む被控訴人の賃借地一七一坪二合二勺を代金一二万円、同年五月末日限り所有権移転登記手続を完了する約定で買受ける旨の契約を締結したところ、その後山邑酒造は新郊土地の代理権を否定し、被控訴人の所有権移転登記手続請求に応じなかつたため、被控訴人は山邑酒造を相手方として昭和二九年一月東京地方裁判所に土地所有権移転登記手続請求訴訟(同庁昭和二九年(ワ)第六二一号事件)を提起したが、同事件は同庁の調停に付され、その調停中においても被控訴人は山邑酒造から右土地の所有権移転登記手続をうけるべく努力を重ねたが、遂にその目的を達することができなかつたので、被控訴人は昭和三一年一二月二二日付書面で控訴人に対し、民法第五六二条第二項によつて本件土地の売買契約を解除する旨の意思表示をしたこと。(2) ところが右調停中に控訴人が利害関係人として参加し、昭和三一年一二月二四日山邑酒造と控訴人との間で、控訴人が、直接山邑酒造から本件土地を代金七四万二五〇〇円で買受ける旨の調停が成立し、控訴人は同三二年五月一八日までに右代金を完済して、同日養子清水幸男名義で本件土地の所有権移転登記手続をしたこと、以上の事実が認められる。当審における控訴人本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は到底措信し難い。

三、控訴人は、被控訴人に対し本訴において民法第五四三条にしたがつて前記売買契約を解除すると共に、被控訴人の債務不履行によつて蒙つた損害の賠償を求めると主張するのに対し、一方被控訴人は、被控訴人の控訴人に対する前記昭和三一年一二月二二日付契約解除は民法第五六二条第二項によるものであるから、損害賠償の義務はない旨主張する。ところで民法第五六二条は、「売主カ契約ノ当時其売却シタル権利ノ自己ニ属セサルコトヲ知ラサリシ」場合に関する規定であるところ、本件にあつては、被控訴人が控訴人に対して本件土地を売渡す旨の契約を締結したとき、たとえ被控訴人において程なく山邑酒造から右土地を買受けることができるであろうと信じていたにせよ、その当時右土地が山邑酒造の所有であることを被控訴人が熟知していたであろうことは、さきに認定したところから極めて明らかであるから、本件は、同条第一・二項の適用をうけるべき事案ではないというべきである。そしてこのことは、被控訴人が控訴人と本件土地の売買契約を締結した当時、被控訴人は山邑酒造から必ず右土地の譲渡をうけるものと信じており、しかもその直後に被控訴人が山邑酒造から右土地を買受ける契約をしたとしても、結論を異にすべきものとは解せられない。してみると、被控訴人には民法第五六二条に基く解除権はなく、前記主張はもとより失当というの外はない。

しかしながら、控訴人と被控訴人との間の本件土地の売買契約当時、控訴人が、右土地は山邑酒造の所有であつて被控訴人の所有に属さないことを知つていたことは既に認定したところから明らかであつて、この場合たとい被控訴人より控訴人に対する右売買契約に基く土地の所有権移転が履行不能となつたとしても、民法第五六一条但書の解釈上その履行不能が被控訴人の責に帰すべき事由に基くものでない限り、買主控訴人は売主被控訴人に対して売買契約を解除することができるにしても、損害賠償の請求は一切できないものと解するのが相当である。そして既に認定したところによると、前記調停成立の結果右売買契約は履行不能となつたものというべきところ、もともと被控訴人は新郊土地を山邑酒造の代理人と考えて前記売買契約をしたものであるが、山邑酒造が新郊土地の代理権を否定し、被控訴人の所有権移転登記手続請求に応じなかつたゝめ、被控訴人は山邑酒造を相手方として前記訴訟を提起し、その事件が調停に付された後もその目的を達するべく努力を重ねたというのであり、成立に争のない甲第六号証および当審における控訴人本人尋問の結果によると、昭和二五年頃控訴人が山邑酒造から本件土地以外の土地を買受けるにあたり、新郊土地は山邑酒造を代理していたことが認められるのであつて、かようにみてくると、前記履行不能が被控訴人の責に帰すべき事由によるものとみるのは相当でないし、他に右履行不能につき、被控訴人の責に帰すべき事由があつたことについて何等の立証のない本件にあつては、控訴人主張の解除の意思表示により本件売買契約は解除せられたとしても、被控訴人に対し損害賠償を請求することは許されないというべきである。

四、次に、右認定の如く本件売買契約が控訴人の解除の意思表示により解除せられた以上、被控訴人はさきに控訴人から支払を受けた代金一三万円とこれに対する解除の翌日である昭和三八年三月一八日(右解除の意思表示が同月一七日着の本件訴状の送達によりなされたことは記録上明らかである。)以降支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務を負うに至つたものというべきところ、被控訴人が昭和三八年五月二七日右代金一三万円に昭和二六年六月一日から昭和三一年一二月二二日まで年五分の割合による利息を添えて控訴人のために弁済供託をしたことは当事者間に争いなく、控訴人が本訴提起後はその主張の損害賠償請求額とともにするのでなければ右代金額のみの受領はこれを拒絶したことであろうことは弁論の全趣旨に徴し明らかであるから右弁済供託は有効というべく、(もつとも右供託金中の利息は昭和三八年三月一八日以降の分としての供託ではないが、その金額は同日以降供託の日まで年五分の割合により計算した遅延損害金の額を超えるから、この損害金についても有効な弁済供託があつたものと認める。)してみれば、これにより被控訴人の前記売買代金とこれに対する遅延損害金の支払義務は消滅したというべきである。

五、以上のような次第で、爾余の判断をまつまでもなく控訴人の被控訴人に対する本訴請求は結局理由がないことに帰し、これを棄却した原判決は相当である。よつて民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を夫々適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岸上康夫 室伏壮一郎 斎藤次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例